駅の保守のため車でやってきたJR職員。その姿が“乙さん”と重なった…
11.1.31執筆
浅田次郎原作の小説で、1999年に映画化され空前の大ヒットとなった感動作「鉄道員(ぽっぽや)」。高倉健・大竹しのぶ・広末涼子という豪華キャストに、監督に降旗康男、撮影に木村大作という健さんトリオが集結した駅、それが幌舞駅ことJR幾寅駅である。
作品の中では、炭坑が閉山し寂れていく町にあるという設定だが、実際の幾寅駅は南富良野町の中心地にあり、役場の最寄り駅でもある。駅がロケ地として選ばれた理由は、線路が築堤上にあるために駅舎からホームへ階段があり、これが「ため」や「情感」を表現しているからだという(駅舎内の南富良野町案内ポスターより)。駅舎はもともと木造であったが、撮影に合わせて大改装を施し、「古さ」を強調させた。
幾寅駅は現在は無人駅で、待合室は映画の雰囲気を留めるもののストーブが撤去されていて寒い。
駅事務室部分のセットはほとんど解体されたが、その部分に撮影を記念した展示コーナーが広々と設けられ、撮影の際に使われた改札ラチ、衣装や小道具、セットの立体イメージなどが展示されている。健さんが写った映画のポスターや、監督、浅田氏のサインなど、コレクションは非常に充実しており、映画を見て感動した者ならそれだけで時間を忘れさせてくれる。
ロケ地採用の決め手となった階段を上り、ホームを見渡す。信号小屋が解体されたほかは、映画で見た風景そのままだった。
いろいろなアングルが登場したなあ、乙松が倒れていたのはこのあたりか…と考えながら、きちんと除雪されたホームを踏むしめ歩く。だが列車が止まらない部分は除雪されておらず、行こうと足を踏み入れるとサクリと足が雪にはまってしまった。東京でたまに降る雪の感覚とは明らかに違っていた。新得方には撮影で使われた腕木式の上り出発信号機もそのまま保存されている。一人娘を亡くした日も、愛妻を亡くした日も、乙松はこのホームで「信号よし!後部よし!」と歓呼していた。一生懸命生き抜いた乙松、遊んでばかりいる自分…ああ、そんな生き方も悪くはないか…。
ホームを眺めただけで人生訓を得たような気がした筆者は、再び階段を降り駅舎へ。映画で登場した「便所」の小さな小屋も、実は本物ではなくセット。実際の便所は、駅舎本屋の左側面に設置されている。水道凍結で水洗化できないため、未だ汲み取り式だ。
駅前広場へ出ると、そのほかのセットもそのまま保存されている。タバコ店を兼ねていた「だるま食堂」もそのまま。のれんも建物内だがちゃんと掛かっている。その横には…撮影で使われたキハ12 23ことキハ40 764が置かれていた。本来のキハ40は前面窓がパノラミックウインドウで前灯は2灯であるが、原作で設定されたキハ12に似せるべくJRの協力で大改造が施されている。撮影終了後もそのまま運用に就き、実際に乗客を乗せて道内を走ったが、2005年に惜しくも廃車。先頭部分がカットされて里帰りを果たした。車内にロケ時に撮影された記念写真が飾られているとのことであるが、雪が深く車内に入ることはできなかった。
落ち着いたところで待合室に戻る。室内のテレビでは、映画の予告編やメイキング映像が流されており、感動した作品を思い出させてくれた。
するとそこへ、駅前に止まった1台の車から一人のJR職員が。無人駅ではこのようにして車で各駅を巡回し保守を行うことは知っていたが、その職員が階段を上がりホームへ出ると……その姿が“乙松駅長”に重なった。ちょうど映画で乙松が、台所に立つ雪子を静枝と見間違えたかのように…。偶然にも、乙松と同じように定年が少しずつ見えてくる50代くらいで、制服を着たその姿はJRの社員ではなく、国鉄の職人気質の駅長だった。
筆者も、「奇蹟」に包まれているような気分がした。
列車の時間が近づいてきた。乗車する予定の町民が駅に続々と集まってくる。近所の方々は皆顔見知り同士のようで、会話も弾んでいた。
やがて、滝川方から日本最長鈍行・2429Dの2連が到着。無人駅には駅名を唱える駅員の声もなく、テープから流される案内放送に誘われるように客が乗り込むと、キハ40は静かに発車していった。
筆者の待つ滝川行き普通列車も、もうすぐだ。