近畿地方


ホームと、ひさしのついた待合所だけの簡素な駅。
利用者が減少し、廃止も取り沙汰されている

11.6.3執筆


駅前のコンビニには和田岬線をテーマにした可愛い絵が


現在となっては数少ない「土曜ダイヤ」が設定されている

 和田岬線の愛称で親しまれる全長3km弱の山陽本線の支線。かつては臨港鉄道として建設資材などの輸送に使われたが、現在ではもっぱら通勤通学客が利用するだけの路線となり、朝晩に数本の列車が運転されるだけの路線になってしまった。
 平成のはじめまでは客車列車による運行で、しかも旧客をJRの定期列車として最後まで使っていたことで注目を集めた。その後客車を置き換えたキハ35も、2両編成のうち片方を付随車とした1M1Tという特殊編成、しかも片側のドアがないというここだけの車両で運転していた。ようやく2001年に電化。現在は103系6両を中心に運用されている。

 兵庫駅から和田岬線の電車に乗り込む。工場と住宅街の間を縫ってゆっくりと走る。川崎重工の工場では東京メトロの新製車を見つけ、和田岬線は新車のロールアウトの時にはまだまだ現役の貨物路線であることを教えてくれる。

 わずか4分間の和田岬線の旅。地元民しか使わないのが分かっているのか、はたまた1駅間しか走らない列車なためなのか、走行中、車掌のアナウンスはまったく入らない。
 到着した和田岬駅は簡素なホームだけの棒線駅で、待合室と呼べるのかどうかも分からない、というよりむしろバス停がちょっとリッチになったような感じの待合所が、ホームの端に設けられている。
 時刻表を見ると、日本の鉄道では非常に珍しくなった「土曜日ダイヤ」の設定がある。休日ともなると、なんと朝晩1往復ずつしか運転されないという、まさに究極中の究極の閑散路線と化する。昼間に電車がまったくないことからも、この路線が通勤専用線であることを知らしめる。

 そんな和田岬線に、追い打ちをかける出来事が起こる。電化と年を同じくすること2001年、神戸市営地下鉄海岸線が開業、三宮と和田岬が電車1本で結ばれるようになった。これにより和田岬線から利用者が流出、和田地域と山陽線本線をつなぐという、なんとも限定的な存在価値のために現在まで生き残ってきた。
 今や、港湾地区の再開発に伴って、地元から「和田岬線は地域を分断している」という意見も上がるようになった。鉄道が地域に悪影響を与えるなどと言うのは、鉄道の黎明期、すなわち和田岬線が建設された頃には到底考えもできなかったであろうことだが、現実は現実である。確かに、筆者がここを訪ねた学校の長期休暇の期間中などは、乗客の姿はとにかくまばらで、しかも和田岬に着いてそのまま折り返して兵庫に帰ってしまうという明らかなる「鉄ちゃん」のみ(私も例外ではないのだが)。JR側も、近年中に和田岬線を廃止することを前提に動き始めている。

 駅前にあるファミリーマート。そのちょっと陰になっている面の外壁に、和田岬線をイメージした絵が描かれている。実はこのコンビニの用地、もともとは和田岬駅の駅舎があったところで、その名残をこの絵に留めているらしい。
 …おごれる鉄路も久しからず…。日本の今を作るのを支えた和田岬線。100年余の歴史を、静かに終えようとしているのであった。